『ANSWER IS THERE(答えは其処に…)』
『答えは試練の只中にいる、あなたの心の中にある』空模様は晴れだけではない…生きていれば嫌なことはある。また、思い通りにならないことや、怒り心頭に発する事も…全てが自分の思い通りになる事などあり得ない…山があり、谷がある様に、生きていれば下り坂に上り坂は付きものである。そんな時にこそ、人は自分の中にある価値観がこの浮世にあって通用するか、またしないかが試される。体の筋肉は、刺激が与えられることによって逞しくなり、また、しなやかにもなる。人の心も予期しないことや、試練を通して成長を遂げて行く…THE BIBLEには、「試練に会った時には、それをこの上もない喜びと思えばいい…」とある。人は自分自身が分かっている様で、ちっとも分かってはいないのである。「人は何に於いても慣れる存在だ…」とドストエフスキーは語っているが、人間は誰であれ、状況や環境に影響され易いのだ。秘められた無限の可能性を少しでも開花させて行くか…それとも、その可能性を眠らせたまま一生過ごして行くかは自分次第でもある。「親が悪いんだ…彼奴の所為だ…環境(かんきょう)がいけないんだ…」と人や周りの所為にするのは誰にだってできる。しかし、最後の最後には、「自分の不覚とするところです…」と素直に己の落度を認めることだ。JESUSの弟子であるペテロが魂のロッカーに、「わたしについてくればいい…」と言われた時に、もうひとりの弟子ヨハネを指差しながら「彼奴はどうなんですか…」と問うたのだ。JESUSはそんなペテロに対して、「ヨハネが生き長らえることをわたしが望んだとしても、あなたに何の関りがあるのか…あなたはわたしについてくればいいんだよ…」と答えたのである。要するに、人は人…しかし、あなたはあなたなのだ…他人の行動に気を取られることはない。人が如何斯うではなく、あなたは如何するかなのだ。危機が訪れた時こそ、好機だと思えばいい。ピンチこそチャンスなのだ。あなたが今迄以上に粋な、人間味ある存在になれるチャンス故に、どの様な試練が遣って来ても、「やばい… 俺は更に格好良くなれるんだ…」と喜べばいい…今日という日があなたにとって、更に魅力的になれる日