『SYMPATHY(情け深さ)』
『情けがない世であっても情け深さを失うな…』人は誰であれ、他人の事をとやかく言える柄(がら)ではない…世の中には己の事も吟味できない評論家が、己を棚(たな)に上げて人の事を批評している。「よくぞ、言えるよなぁ…」と呆れ返ってしまう。画面の向こう側の世界の人たちは、何処かで勘違いをしている。自分の事はさて置いて、「あの人はああだ…、こうだ…」と良くぞ言えてしまうものである。THE BIBLEの中には、「自分の事を他の人よりも偉い人間だと思わない様に…」とある。人の失敗や、また成功も、己の失敗や成功として悲しみ、喜ぶことも大事なことである。「義理がすたればこの世は闇だ…」という人生劇場の歌の文句がある。男は義理と人情と痩(や)せ我慢という任侠の言葉は、昭和の時代で終ってしまったのかもしれない…「義理人情」は「粋」や「自然体」と似ていて、理想ではあるが、現実の人生の営みの中で現して行くのは至難の業である。今は「情」などという言葉さえも、時代遅れと見なされてしまっている様である。何か起こると「訴える」と叫び…また、「弁護士と相談します…」と疑心暗鬼の方が先立ってしまい、人を信用できなくなってしまっている。何でも彼でも、己の立場を守るために、金で物事を解決しようとするありさまである。昔の様に情のある、長屋のご隠居さんの様な頼れる存在もいなくなってしまった。「NEWS(ニュース)」とは、NORTH・EAST・WEST・SOUTHの頭文字を並べた言葉として知られている。北東西南(NEWS)に起きている情報を集めて、今、自分が立っている地点から語ることを言うのである。今のニュース(情報)には、本当の意味に於いての